おつりの出し方とオ・モ・テ・ナ・シ/AKIE

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外国で生活をすると、何気ない習慣の違いに日本の文化を感じることはよくあります。

ふとした違いについて

 これは国民性の違いなのだろうか

 国民性ならそれはどこに起因しているんだろう、歴史?宗教?政治?教育?

 それともパーソナリティの違いであって文化によるものじゃぁないのだろうか

 このパーソナリティの違いはどうして起こるんだろうか・・・

 

そんなことを考え始めると、

外から見ると動かぬ石のようになっているのに頭の中はいろんな場所を旅する”ひとり遊びゾーン”に迷い込んでしまうわけですが。

 

先日マレーシアのとある島を放浪していまして、

放浪の結果、幸いにも海辺でヨガセッションを現地の方や観光客の方々と行ったり

(朝日を見ながら一緒に行う太陽礼拝も、星空のもとで行う瞑想も瞑想も、それはそれはとても気持ちがよくて、参加者の皆さんも楽しんでくださり大成功☆)

そこからさらにご縁が広がったりとヨガが世界の共通言語であることを痛感してきました。

 

外国、特にアジアの国を旅すると感じるのがおつりの出し方。

日本で 1,750円の支払いに対して2,250円を渡した場合、

おそらくお店のレジの方やタクシーの運転手さんの多くは、この客が何をしたいのかわかるでしょう。

そして何のためらいもなく、すっと500円玉をくれる。

 

これが、日本以外のアジアの場合、

私が遭遇した7割以上は、

ん?という顔をされ、200円を返されます。

そして2割は

おぉ、意味がわかった!500円が欲しいんだね♪という笑顔とともに500円玉をくれる。

 

この反応の違いが面白くて、

私は海外に行くと必ず同じようにしてみることにしています。やめとけばいいのに。苦笑

 

(もちろん私が遭遇したのは全体のほんの一部の一部ですので一般化は危険なのは承知ということでご了承下さいね)

 

この違いって凄いですよね。

アジアじゃないですが、中学生の頃アメリカのスーパーで同じ事をした時、レジの中年女性がとても面倒くさそうな顔をしながらブツブツとつぶやいていたのを聞いて、私は生意気にも”日本人はみんなこうするよ”とか言いつつ若干傷ついたのを覚えています。

数年前でしょうか。日本人がこのおつり計算をぱっとできるのは、日本人が幼少期に受ける教育水準の高さに理由がある、という本があった気がしますが、

日本人の思いやりとかオモテナシの心と通じている気もします。

 

 お客さんの行動を尊重すること、

 相手が何をしたいのかを考えること、慮(おもんばか)ること、

 お金のやりとりを通じて心が通うサービスが浸透していること、

 

お金を渡し方だって丁寧で、

レシートの上に上手にコインを重ねてくれたり、お札もそろっていたりしますね。

これってとても感動するオモテナシです。実際、とても評価が高い。

 

お金はただの紙切れと金属片。

確かにそうですが、日本人はとても大切に物をであるそれを扱う。

それはきっと物を大切に扱うことが、それを介して、ここにいる相手を大切にすることに繋がることがどこかにあるから。そう思うと、言葉にするのが少々苦手な、シャイな国民、日本人の国民性ってそれはそれで素晴らしいなぁなんて思ったり。

 

それは同時に、そうやって、言葉にしなくても済むように人間が順応してきたんだろうと思います。

そして、機械化が進んで人間が順応してきたところを機械が行ってくれるようになってきた。

例えば、お金を入れれば自動で計算しておつりがチャラーンとお皿に出てくるのでレジの担当者はそれを手渡すか、お皿に移せばOKになったり。

これと同じ現象が、身近な人間関係や仕事の上でも起きたらもったいないなぁと思うこともあります。

おつりを自動計算されて、渡し方も楽になり、話す言葉はもともと無い。

気持ちがそこにあるかどうかはわからない。

 

つまり、生活のコンテンツは合理化効率化が進んで、尋ねたり応える必要もない、心が伴っているかもわからない。

一番怖いのは私たち自身にそれを強いてしまっていないかなぁというところ。

寝る前、お風呂の時間、ほっと一息つける時間に、自分の中の自分が500円玉を欲しがっていそうだという事、見過ごしていないかちょっと相談したいものです。

私自身は、と言えば、毎朝のヨガと瞑想がそれを多いに助けてくれています。

そんな風に使うヨガも良いものです。

 

それでは今日もいい日になりますように・・・


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